『グレイテスト・ショーマン』でカタルシス
役者同士の情報交換で、
『あの映画観た?あれは観ておいた方が良いよ』
と口コミで広がる映画が時々ある。
『きっと、うまくいく』
『ブラック・スワン』
『アーティスト』
『あん』
なんかもそんな映画達。
さて、もう観ましたか?
こちらもまた、そんな映画の一つ。
私は、大阪・天王寺の映画館で観ました。
今回、グレイテスト・ショーマンで印象的だったのは、ちょっと本編とは違う方面で考えさせられた事。
それは本編が始まって数分後、スクリーンの中から素敵な音楽と歌とダンスがきらびやかに観客達の心をワクワクさせ始めたまさに盛り上がっていこうというその時に、後ろの入口の扉が開き高校生か大学生くらいの女の子達が四人、ヒソヒソワクワクしながら入って来て指定席に座っていきました。
真ん中寄りの席だった為、勿論彼女達の後ろ側の方々は彼女達が座り終わるまでスクリーン全面を楽しめないのです。
しかも、彼女達は悪びれる様子もなければ急ぐ様子もない。
少しヒソヒソ話しながら、何なら楽しそうでさえあります。
ようやく無事に席についたら、お口にチャックしてくれたので『ホッ』と胸を撫で下ろしつつ気付いた。
みんな集中力切れてへんなぁ・・・。
そして本編が終わってエンドロールに入ると、そこかしこで席についたままヒソヒソ・・・いや、ヒソヒソどころか普通に会話がそこかしこから聞こえてくる。
これは大阪だからなのか?それとも時代?もしくはそもそもの個々の感性の差なのか・・・?
その話し声をちょっと気にしている人もいたけど、基本的には私も周りのみんなもその声には惑わされず映画の余韻に浸れている事に、ふと気付く。
みんなも凄いし映画も凄いなぁ。
まぁ、繊細なシーンや悲しい映画でそれをされると、もしかしたら台無しになるのかも知れないけど『グレイテスト・ショーマン』に関しては、そんなものをものともしない情熱的な映画でした。
コンプレックス
自己否定
カミングアウト
障害
差別
貧富の差
天狗になる人間の心
常に新しいものを求める人間
成功の影にあるもの
もっともっと沢山、観た人の数だけ心に突き刺さるメッセージがある映画。
色んな要素が詰め込まれていて、それでいて全てがくどくなくアッサリとテンポ良く、潔くラストまで駆け抜ける。
サラッと。
そこが凄い。